御利益信仰じゃなくてもいいかもね。
お盆だったんで帰省してきました。
実家でご先祖様を拝んできたのですが、
ふと気付けば祈ってました(笑)
お墓参りでは、
ただ拝むだけでお願い事しちゃいけないよと、
薄っすら聞きますが・・・
へんじろうは信心が薄いので、
神社仏閣で参拝するときも、
お墓参りするときも同じように祈願もしてしまいます。
ちなみに、拝むとはお礼を述べることで、祈るとはお願いすることだそうです。
何かを叶えたくて祈る
何かが欲しくて祈る
恩恵に預かりたくて祈る
すがって祈る
効果があるから祈る
何かを期待して祈る
見返りがあるから祈る
神様に対してさえ見返りを求めて祈るのだから、人やモノにしてもついそうしがちだ。
仕事、人付き合い、成すこと。
何かの見返りに祈り、何かの見返りに働き、何かの見返りに付き合い、何の見返りに学ぶ。
見返りを求めて、見返りがないと怒り、見返りがないから止める。
これって、
祈ることが単なる手段になってる。
手段だから、
見返りがないと、
効果が薄いと、
時には怒り、
止めてしまう。
そういった祈りもあるよね。
御利益信仰っていうそうだ。
一方で、
祈ること自体が目的というのもある。
祈る行為自体が言わば見返りなる。
非常にシンプルな話だ。
見返りに囚われ思い悩むことがないからだ。
お願い事が見返りではないので
願いが叶ってもいいし、
叶わないのくて祈り続けていてもいい。
まぁ祈りを手段としている側から見れば、
なに無駄なことやってんの
なに無意味なことしてんの
だから叶わないんだよ
甘いんだよ
努力が足りないんだよ
真剣さが足りねーんだよ
って思えるよねー。
でも
人生は
御利益信仰じゃなくてもいいかもね。
へんじろう